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ミュゼで脱毛プロジェクト

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2019年 01月 20日

恋愛小説とミュゼ

土曜日。午前中に歯医者。
帰りに実家に寄って昼食をいただき、ドルチェをわさわさする。
あんまり時間なかったけど少しピアノ弾いた。
弟が採譜したのがいっぱいあるからそれで初見練習w
ドビュッシーのアラベスク1番と2番。ショパンの子犬のワルツ。ベートーベンの月光第3楽章。
もっと弾きたいなぁ。

午後から淀川花火を見に行く。
マイミクのkenさん、ゆばさんと。
川原にレジャーシート敷いてお菓子食べながらまったりおしゃべりしながら夜を待った。
打ち上げ地点から少し距離があったけど予想より大きくて驚いた。
キラキラ光るのがとても綺麗だったなぁ。
最後まで堪能できた。
びわこの今年の新作はどんなんだろー。行きたいけどもう体力ない。

それにしても長時間お話したなぁ。フラホアセッションのはじまりの経緯とか聞いたりして。
わたしはひとと距離をとってしまうので、初回からわかりあえたとかそういう感覚になるのはとてもすごいことだな、ておもう。


日曜日。割愛。

本谷有希子さんの「生きてるだけで、愛。」という小説を読んだ。
恋愛小説とミュゼ・・・なのか?
主人公の行動っていうか衝動が強烈すぎて、ずっとなかなか感情移入できなかった。
けど主人公が同棲相手を責めるところとか、最後に本音でぶつかるところとかで「ああ、取る行動は違っても心境とか気持ちはよくわかる」ておもってかなり共感した。
たぶん数年前にもっと自分に振り回されてた頃、恋愛してた頃に読んでたらものすごく泣いたんだろうな。

この小説を健やかなひと(自分に振り回されないひと)が読んだらどんな視点で見るんだろう。共感する部分ってあるのかな。どんな感想をもつんだろう、て気になる。


以下、まとまりないひとりごと。
人生設計というか将来を真面目に考えたことは無かった。ほんとうにこの歳まで生きるとおもってなかったから、考えることっていえばどうやって死ぬかであって未来は無かった。
今もまだ自分の人生の責任を自分で取るという覚悟ができてなくてちゃんと考えられないけれど、でも考えないとなって意識が芽生えてきている。

世の中へんなひとはたくさんいて、ニュースとか見てると「こんなことするなんてあり得ない」ておもうことはよくある。けれどわたしはたまたま攻撃性や衝動があまり外に向かないだけで、多数のひとから見たらぶっ飛んだ行動もしてきてるのだから自分がへんだとおもうひとたちと大差ないのかもしれない。
いまだに行方不明にはもうならんといてな、と言われてしまうのが耳が痛い・・・今はひとりで暮らしてるから家帰ったらひとりになれるから外をフラフラすることはだいぶ減ったかな。

昔みたいにみんなに自分のことわかってもらいたいなんておもっていないし、むしろ仕事は仕事、音楽は音楽、て自ら割り切ろうとしているかもしれない。
当然わたしの腕の傷や日記やつぶやき等に眉をひそめているひともいらっしゃるとおもうし。
でも触れないし触れられない。

学校を卒業して就職して働いて・・・ていう世間一般の多数の生き方・・・それが生きるということだとおもってた。そこからはずれるというのは生きていないのと同義だった。
そういう凝り固まった観念も少しずつ崩れてきてくれている。

ひとと同じになるのは無理で、将来的に死にたいとおもわなくなる日がくるかもしれないけれど自分で立てるようになるまでまだそこはこのままだろう。

少し過去にひきずられつつあるからとりあえずここ2日頭に浮かんだことを書いてみた。
とくに意味はないけど。

# by museepro | 2019-01-20 23:49